2016年3月23日水曜日

光の道



すこしだけうすいタイのビールが美味しいと感じる火曜休みの終わりに







僕たちは仮設住宅を後に 郡山へ車を走らせていた。
いたっていつもどおりの車内。


僕は助手席へ。  運転はむーすこーひー3周年HOME PARTYでモヒートを作った翼。
僕と席をかわったのはむーすこーひー3周年HOME PARTYでミネストローネをつくった敦。そして後部座席にずっといたむーすこーひー3周年HOME PARTYでスタードッグをつくった学。


郡山へ向かう中 途中 状況がかわり、郡山へ行く用事がなくなったので僕は
Uターンを提案するも、このままこの道をドライブしよう。 そうゆうことに
わずか短い話し合いで そうなった。

友達とは不思議なものでyesでも noでもない答えをくれる

そうして流れるように道を進んだ

沈む太陽に枯れ木だらけの山 

皆はそのとき 何を考えていたんだろう

いつもどうりの車内 変わって行く景色  
のぼり坂の頂上の太陽で前がみえなくなった 



















今回、僕らを心よく出迎えてくれた 同じ日本にある福島県のいわき市平作町にある
楢葉町から避難されてきた 仮設住宅のみなさま


たまたま
あの日、ぶっ壊れた原発から家が 国の決めた距離にあった。生活がそこにあった。

約二年半前に同じ場所に訪れた その場所。 
あのとき 震災の16日後に生まれて来たと紹介された女の子は おばあちゃんの膝の上で
明日はプールのテストがある と教えてくれた

この2年半でこの仮設住宅に大きな変化が訪れた と 今回一番お話をした方がおっしゃった。
それは、もと住んでいた楢葉町が避難解除になり 
「 はやく 楢葉町へ帰りたい みんな」じゃなくなり、それぞれの判断 意思 で
帰る人、残る人、他の地へ行く人。と、変化が生まれたようで

そこには細かい問題がたくさんが更に生まれ

どうしたらいいかわからない と言っていた 
更に続いた

 TVでは、自分達のNO の声がYESと報じられ それを皆さんが 信じて  
求めていない変化が たくさん起きている と。



福島県は車で4時間あれば着く。
本州全域が放射能から逃げなくちゃならない危機はあの日から常にあると言うのには驚いた。


これ以上はここに打ち込む事じゃないのかな  とにかく、
シティー ライツ は福島へつながった


ここに書きたい とても 重要な一言があった。

「本当に賠償して欲しいのは お金やものじゃなくて人のつながり」

その言葉と、考えうるその理由 に どうも胸がつかえる。





yes でも noでもない感情は整理の着く前に皆さんに伝えたくて書きました

機会があればお話で伝えたいです




人はつながりを求めていて
道は続いていることを

強く感じました。



明日の珈琲はタンザニアです。
















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